承認欲求

ちょこっと1,2回ブログ書いて静かにしていようと思っていたのに記事がもう5つ目。
その事実に真顔で今「えっ」て言いました。
書きたいことを書いたら黙るのか、それともなんか調子にのっちゃって書き続けちゃうのか。
 
とりあえず、思いつくままに書きます。
 
 
自己顕示欲、承認欲求のお話をしました。
そもそも自己顕示欲を持つこと自体が決して悪いわけではないです。
届かないとか届くとかほとんど関係なく好きという気持ちを表現したい。そういう気持ちでTwitterを私もやっています。
ただ、好きな対象が主に芸能活動をしている方々もしくは舞台や番組を制作されている方(舞台、番組自体も)なので「応援」ということが絡んできます。
たくさんの人に見られて、愛されてナンボの職業の人たちなので「こんなとこにも好きって言ってる人がいるよ」というアピールはしたいというか、それもひとつの応援の形だと思ってオープンなアカウントでやっているところはあります。
できるだけポジティブな表現を選んでみたり。
もしかして何かの拍子にご本人の目にふれたときに不快にさせないように、とか一応そういう意味では視線を気にします。
直接リプを出演者や制作陣の方々に送るときは、あれこれ思案しますし毎回とても緊張します。
 
でも握手となると全然次元が違いましたよね…。
 
生きている人間のもつものを生で見ること、言葉を交わすことは、画面の向こうで見ているだけでは感じられないことばかり。
一瞬の握手でも、「この人こんな目してたんだ」とか「手ってこんなに大きかったんだ」とか衝撃がありますし、会話となると声色やトーン、こちらの言葉に対しての反応など、さほど長い時間ではないはずなのに脳細胞と感覚器官を総動員してできるだけ情報を獲得しようとしてしまうものなんですね。
寝不足で、死ぬほど舞い上がってたのに、それぞれの対応の印象はしっかりと握りしめて帰ってきました。
 
さてここまで読んでいただいてわかる通り、私はそもそも非常にネガティブな自己評価を持つ人間です。
 
他人の考えなんて絶対わからない。
 
それは重々承知の上でも、「こんな人間が握手に行ってごめんなさい…」という甚だ頓珍漢な落ち込み方をしました。
人間として、はたまた異性である人間として自分がどう見られていたか、それがほんの一瞬で相手の脳裏から消えてしまったとしても、あの瞬間相手が自分に下した評価が気になってしまったのです。完全に私の解釈の問題なんですけど。
もちろん、あくまでお仕事ですから。皆さん笑顔で対応してくださいましたし、特に問題とされるような反応もなかったと思います。
なのに承認欲求がガンガン刺激されて、バカみたいな考えが量産されていく。
考えていた内容としては、ざっくり言うと対等な存在ではないことを再確認してつらい、みたいな。どうしようもないことです。
年齢的にはとっくに大人ですし、自己評価低すぎるのも生きにくいのであれやこれや対策して育ててはいるんですけど、やはり握手の劇薬っぷりでコントロールが効かないのが苦しすぎました。
結局自ら有象無象になろうとしたのに、有象無象として認識されることにもがっつり傷ついていたりして。なんという矛盾。
ファンである、それ以上にはなれないと知っているのに、なりたくなってしまう。
私の場合、求める先が恋愛対象とかそういう話ではなかったんですけど、”お仕事をしている相手としての顔”を求めていたわけじゃないなっていうか。
番組内容が割と素っぽい自然な友人とのやりとりや表情を主としているものだったので余計にそのギャップを感じてしまったのかもしれません。
ああ、しかもこれは制作している方々にも言えることなんだろうなあというのもぼんやり考えました。
色々とそんなことが頭の中で混乱し、承認欲求を持ってはいけない相手、絶対に返ってくるわけのない相手に抱いてしまうほど、イベントでのひと時は刺激が強かったということです。
 
 
このブログを書き始めるきっかけとなったこちらのエントリー
 
の中で、こんなお話がありました。(引用します)
 

 

前、twitterにも書いたんだけど人から拍手や喝采をもらう立場のお仕事の人って基本的に客を見下してるじゃないですか。 まあ常に舞台という客より高い位置に立ってるわけだし、直接客と会って取引しなくてもお金はもらえるわけで相手が人間だって思わないのだろう。それはしょうがないのかなと思うけども。

りさ子のガチ恋♡俳優沼 - かのコレ

 

 
なるほど、それに似たこと、私も感じたような気がする。と思いました。
でも、でもです。
本当にそうかなあ?って言いたくなったんです。これがこのブログを書きたいなと思った動機のひとつです。
 
実際にきっと、そういう(ファンを見下す)人はいるんだと思います。与えられる好意が実力に見合っていても見合っていなくても、立ち位置なんて人間簡単に見失いますし、いろんな考えの人がいます。
考えも白か黒かじゃなくて、まったくそんなこと思わない人、ちょっとそう思う人などいろいろいると思います。
 
でもそれって絶対、本人にしかわからないことですよね。
 
中には本当に真摯に自分の芸や魅力と向き合い、作品を作り上げて、お客さんに感謝している人もいるんじゃないかな?(ていうか居てほしい)
結局対象の人物と本音で語り会えるような状況にファンはなれない運命なので、憶測でしかものが言えないところがなんとも歯がゆいんですが。
応援するということはその人に、芸に、もしくは作品に(作品の向こうにいる人に)気持ちを向けてそのために何かしらのアクションを起こすことであって、それって実際そんなに容易いことじゃない。
それを「どうせ見下してるんだよね」って思いながらしていくのって辛すぎるのでは…と思ったんです。(もちろんこれにもいろんな考えがあると思います)
 
応援って何かな、とイベント後にもたくさん考えたのですが、とにかくこの一言で感じたまま心の奥底にしまってあったことを引っ張り出して並べてみたくなりました。
 
 
 
まだ続きます。